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諸行無常

「全ての存在はつねに変化している(無常)ゆえに、

いつ自分や愛する人たちの身に病気や事故が起こっても不思議ではありません。

私たちはこの現実を受け入れる以外にないのです。

一瞬一瞬〈気づき〉を働かせて生き、

まわりの人々と誠実にかかわっていけば、

たとえ自分のいのちに危険がおよぼうとも怖れや後悔はないでしょう。」

 

ティク・ナット・ハン著 ブッダの〈気づき〉の瞑想 (「〈気づき〉のエクササイズ」より)

 

 

諸用で鹿児島に帰ってきました。

 

一泊なのでゆっくりはできませんでしたが。

 

ちょうど干潮のタイミングに近くを通ったので

知林ケ島に立寄ることにして

台風の時に侵食されてしまったらしく道ができず

島へ渡ることは叶いませんでしたが

海の水が、周りの景色が

ほんとにきれいでした。

 

昔の私の実家のお家は

昨年、運良く買い手が見つかり

人手に渡すことが出来て

お礼のご挨拶も兼ねてと

母の遺品整理の時以来、2年ぶりに足を運んでみました。

 

新しい住人の方には会えず、

手土産と、簡単な置き手紙だけ置いて

後にしましたが

よく知っている家と庭なのに

様子が全く変わっていて

変な感じでした。

 

猫を飼っているとは伺っていたのですが

猫用の爪とぎとか

牛乳パックの空の箱とかが目に入って

子供の頃、母や祖父母達と暮らしていた家の今の様子を

おじいちゃんとおばあちゃんが見たらなんて言うのかなぁ…

なんて、祖父母はもうとっくに亡くなっているのに

 

ありもしない心配が頭に浮かんだけれど

悲しくはなく、不思議とつらくもなく、

 

「手放すとはこういうことなのか」

 

と、ふとそんなふうに感じました。

 

 

子どもの頃は

母も祖父も、他の親戚たちのうちの何人かも、

お酒を飲むと皆口が悪くて、

お酒の出る席では

暴言と暴力が付きもので

子どもながらに

そういうことが大嫌いでした。

 

ただそれを口にすれば

怒鳴られるかぶたれるだけなので

何も言いませんでしたが。

 

それでも、

 

祖父母たちは

庭をとてもきれいにしていて

あじさいや

キンモクセイ

木蓮に、つつじ、水仙の花

柿と梨の木、レモンの木

裏の方にはきのこを育てていたり

畑にはトマトやナス、ネギ、里芋、

味噌汁の具には

朝裏の畑でもいだ野菜が入っていて、

夜は本当に星がきれいで

自然の素晴らしさは

懐かしさを感じさせてくれます。

 

ここで育ったことに

「ありがとう」と

改めてお礼を言いました。

 

時は流れ

全てのものが変わりゆく

変わらないものなど一つもない

 

私も

この場所も

今の私を取り巻くこの世界も

 

良い意味で手放すことができて

故郷のエネルギーを

たくさんもらって帰ってきた帰省になりました。

 

波が道を作ってくれた頃に

知林ケ島にまた来たいなと思いました。

 

皆さんも

鹿児島に行かれる機会がありましたらぜひ(^-^)